移り行く時間に胸が締めつけられそうになる
昨日の、夕方の空はとてもとても美しかったのです。
雲に雲の影が映っていました。
黄昏は、マジックアワーでした。
「川べりに、散歩に行きたいよ」
っていったのに、仕事を終えた彼は、お買い物の方が忙しくて、
(わたしの代わりに主夫をしてくれるので)
お買い物と、着替えとシャワーとで、
1番ステキな時間に、空を見ることは、叶わなくなってしまいました。
癇癪
そうすると、わたしはもう、猛烈に機嫌が悪いのです。
「明日行けばいいよ」
明日に同じ空が広がるとでも思っとるんかーーーーい!!!
「なんで、今この時間を大切にしてくれないの?」
って、すごい悲しみがわいてくるのです。
子供の頃にたくさんガマンした想い
わたしは子供の頃に、両親に遊びに連れていってもらった覚えが、
あんまりありません。
でもたまに、何か間違ったように、どこかに連れていってもらうという約束をすることがありました。
その時に、決まって父親が、ドタキャンして現れないんですね。
ずっとずっと母親と、喫茶店でジュース飲みながら待ってた記憶があります。
「今日が終わってしまう」
「どこにも行けなくなってしまう」
「せっかく連れていってくれるっていったのに」
こんな、消化されてない想いが、
きっときっと大人になっても現れているんだと思います。
その時の悲しみを、その時の自分と一緒に感じる
子供の頃は、両親優先だったため、
(今でもこれは、他人ファーストとして、悪癖で残ってしまっていた)
悲しい気持ちも、残念な気持ちも、泣いてるココロも、
ずっとずーっとずーっと深いところにしまいこんで、頑丈な蓋をして閉じ込めてしまっていました。
大人になった今、
その感情が、いろんな場面で出てきて、
「わたしを、大切にしてくれていない!」
って間違った感情にすり替わってしまいます。
インナーチャイルドワーク
その感情は、ずっと感じないまま押し殺して、
フタをしてふさいでいたので、
大人になった今、悪さをしています。
「悲しかったね」
「つらかったね」
「よくガマンしたね」
っていうことを、しっかり自分に認識させる必要があります。
あのときに、両親のことを考えて、
文句も言わず、1日が過ぎて行くのをただじっとガマンしてたこと、
いま、大人のわたしが、しっかりと抱きしめ、
一緒に悲しみを感じてあげる必要があります。
時間が過ぎても、今日が終わっても、
なにも失うものはない。
美しい空も雲も太陽も月も、
また明日、違う美しさを見せてくれるに違いない。
だから、なにも悲しむ必要はないのだ。
そう、それに気づいたいま、
わたしたちは、とてもしあわせなのです ʕ•ᴥ•ʔ ♡