心理学

「毒親」という親との関係からの卒業

親との関係が人生に影響するけどそこから卒業しましょう

まとめ

毒親とは「子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす親」のこと。こういった親のもとで育つと、大人になってもいろいろとスムーズにいかない人生を送りがちです。そこから脱出するには一旦それらをしっかりと認識することが大事。その中には、怒りや悲しみと同じように、「両親が大好きだった、愛して欲しかった」という思いもあったはずなので、これも気づいておけるといいなというお話をしています。

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今日は、親子関係というより、子供の位置からの親への思いについて、

いつも通り、持論をメインにお届けしたいと思います。

 

みなさん、「毒親」ってご存知ですか?

「子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす親」のことを指すようで、

「毒になる親」という本を書いた、スーザン・フォワードが作った言葉だとされてます。

 

心理学を一緒に学んでいた仲間から、そういう本があるというのをきいて、

Amazonで買ってみたんです。7年くらい前ですね。

当時は、毒親という言葉すら、わたしは知らなかったんですが、

信田 さよ子(のぶた さよこ)さんの「母が重くてたまらない」っていう本を読みました。

 

その頃、心理学の先生からは、

「ゆみこさんは、お母さんが死んだら、自分が幸せになっていいって思ってるのね。」

「それまで待つ気なの?」

「ゆみこさんのお母さんは長生きしそうだから、死ぬの待ってたら、ゆみこさんがおばあちゃんになると思うよ」

って言われてました。

要するに、上手に母との距離を取りなさい、って言われていたんです。

 

でも、わたしは自分のことを、

ただただ、母親を幸せにしてあげられてない娘、いわゆる、ダメ娘だって思ってたんです。

 

でも、親を幸せにするのが、子供の役目ではないですよね。

自分が幸せになるのが、子供の役目です。

親は関係ないんですよ。

 

わたしの母は、振れ幅全開で、

ねぎらって、愛情たっぷりに電話をしてきてくれる時もあれば、

あんたなんか無縁仏で誰からも見捨てられる!

くらいに、とっても喧嘩腰に電話してくる時もあり、

とっても疲れます。

 

わたしの癇癪は、この母の遺伝なんだなって思うくらい、

びっくりするほどの振れ幅なんですね。

菩薩のようであり、そして、修羅のようでもあるという。

着信を見ると、今日はどっちの気分なんだろう、って、出る前から身構えます。

 

そんな関係をずっと続けてきていたんですが、

「毒親」ということが書かれた本を読んでみると、

すごいすごい、まるでうちのこと?って思うくらい、

心当たりがあることがたくさん書いてありました。

 

そして、世の中には、こんなにわたしとおんなじように、

母を旅行に連れていけない自分を責めている女性がいるんだと思って、

とってもびっくりしたのも、覚えています。

 

しあわせになりたい!

しあわせになろう!!

と思っても、なかなか幸せになれない人の多くに、

親との関わりあい方が関係してたりします。

 

あまりしあわせそうではなかった両親をみて育った人たちは、

しあわせから少し遠い位置で、両親と一緒のところに居ようとする自分になったりするんです。

自分も、お母さんと、お父さんと、同じところにいるね、って、

そのマインドで、繋がろう、繋がりを保とうってするんですね。

 

そして、そういう人たちは、

両親を裏切って、自分だけが成功したり、しあわせになったりすることに、

すごい罪悪感を覚えたりします。

両親よりしあわせになっちゃいけない!両親を越えるわけにはいかない!っていう思いから、

しあわせな人生を生きることに罪悪感を持って、

困難な生活を繰り返したりするっていう、理不尽な人生を送ったりすることがあるんです。

 

そこにはやっぱり、両親や家族への愛があって、

自分一人だけしあわせになるわけにはいかないって思っちゃうんでしょうね。

 

そして不思議なんですけど、

なんとなく、うまくいかない人生を繰り返している人は、

自分の大変だったり困難だったりっていう苦労話をするときに、

「笑顔」で楽しそうにしゃべったりする人がいます。

 

わたしもそうだったんですね、今でもそうですけど、

あまり幸せではない時は、両親と同じところにいるなーって、安心している状態だったりします。

 

なので、育った環境の苦労話を、笑顔でしてしまう人は、

「両親を超えて、しあわせになってはいけない」っていう禁止を、

自分に与えてるかもしれないな、って考えてみていただくのもいいかもです。

もしかしたら、当てはまるかもですね。

しあわせを自ら遠ざけてないか、というシグナルとして、判断できたりします。

 

そして、幸せそうではない両親のもとで育った人は、

両親がしあわせでないのは、自分のせいだって思ってしまった、小さな自分がいたりします。

そして、それとは反対に、「自分をしあわせにしてくれなかった!」

と両親を否定する自分もいたりします。

多分、子供の頃にたくさん傷ついたんだと思うんですね。

どっちもいるんです。自分の中に。

 

たとえば、両親が未熟なまま親になり、わたしたちを産み、育て、

愛を十分に与えられる親として成長してなかった。

もしくは、両親が十分に成熟した大人であったとしても、

いろいろな状況、仕事とか経済状況とか、そういったことから、

なかなか子供に優しくしてあげることができなかった、上手に関わることができなかった、

など、いろんなケースがあると思うんですが、

 

そういった中で、たくさん子供が傷ついてきて、苦しい思いをした。

でも、わたしたちの中には、ただ一個だけなんです。

ただ愛してほしかった、だけですね。

 

未熟だったり、優しくできなかったりっていう、親を恨んだり、否定したりすることではなく、

本当に本当に、両親が大好きだった、という思いと、

大好きだったけど、思いが伝わらなかったり、

送った愛が返ってこなかったことに対して、

悲しくなったりした経験があっただろうな、っていうこと、

そして、そこには、純粋なキラキラした掛け値のない大好きだっていう「愛」があった。

このことも、ちゃんとしっかり認識できたらなーって思います。

 

その中で、

親のせいで不幸になった、

思ったように愛してくれなかった、

ほったらかされた、

自分の愛を拒絶された、

コントロールされ続けた、

いろんな、否定や拒絶の気持ちが出てきたりすることがあるかもです。

でも、本当は、そこではなくて、

「もっと愛してほしかった」=「ものすごく大好きだった」

という根底にある愛に気づいておけるといいな、って思います。

 

わたしたちの根底には、ものすごく深い大きな水脈のような愛が流れています。

もっというと、愛しかないと思ってます。

 

「くれなかった、もらえなかった」という出来事にフォーカスするよりも、

自分の中の愛に気づいて、

「自分は、こんな感じの愛が欲しかったな」っていう、

安心感と、安堵感、守れられてる感、そして愛されてる感、

こういったのが、欲しかったんだな、って思ってみる。

でも、我が家にはなかった、ってことなんです。

 

ものすごく苦しい家庭で、両親のもとで育った方もいると思います。

今でも、怒りが出てきたり、悲しみが出てきたりする人もたくさんいらっしゃると思います。

「愛とかなかったし!」って気持ちになる方もいらっしゃるかもです。

 

でも、なぜ怒りが出るか、なぜ悲しみが湧いてくるのか、

何も思ってなければ、そんな思いすら出ないはずです。

きっと、たくさん愛を投げかけてたんだと思うんですね、

「愛してほしい」っていう思いで、

自分のこと見て欲しい、話を聞いて欲しい、怒らないで、機嫌悪くならないで、って。

 

なので、純粋にわたしたちが、

両親に注いできた「愛」をしっかりと認識しておくことが、

これからの人生をしあわせの方向に進めるための、大切なキーワードだと思います。

そして、自分の愛に気づくと、大切な人にちゃんと愛を与える事ができるようになります。

愛がたくさんあるってことですから。

 

そして、わたしがやってきたことでもありますが、

親との関係で、自分が傷ついたり、ひどく疲弊してしまう場合は、

上手に、その関係から、距離をとる必要があります。

これは自分の人生を進めるためです。

 

その時には、ちゃんと、親からしてもらったことも、感謝しておいてもらいたいんですね。

雨風を凌げる家があった、安眠できる布団があった。

学校に通えた、ランドセル買ってもらえた、

遠足に行けた、修学旅行に行けた。

いろんなこと、ちゃんとしてくれている親御さん、多いと思うんですね。

そこをちゃんと感謝して欲しいんです。

 

それすらなかった方は、親の代わりに、養護してくれた方がいるはずです。

人間の子供は、一人では絶対に育たないですから。

その方へ、感謝をしてください。

 

フラクタル心理学を学んだ時、

本気で親に感謝すること、

そして、育ててもらったことを当たり前くらいに思ってる自分を修正しなさい、

「謝罪をしなさい」と教えられました。

 

それらを全て、「親だから当たり前でしょ!」って思ってた、傲慢な自分を反省して、

親に謝罪です。土下座のワークをしました。

 

世の中は相似形なんですね。全部。

 

そして、フラクタル心理学では、その両親すら、自分の思考が作り出したと考えてます。

わたしの父は、わたしが高校生の時に癌で亡くなったんですが、

それすら、わたしの思考が「父はいらない」と思ったから、病気にして殺した、

って考えるんです。

 

ちょっと、学びがきつすぎるところもありますが、

確かに思考が現実化すると考えると、その通りでもありますね。

 

なので、話が色々、四方八方飛びましたが、

いろんな思いもあると思うんですが、

それらも全部、丸っと含めて、

あったのかもしれない親の愛と、

思い出したくもないかもしれない、親への愛、

 

そういったのも、あるんですよ、絶対。

子供なんて、一番初めに大好きになるのは、親なんですから。

好きな時期は、絶対にあったんです。

 

それらを、一旦丸っと、認めて、

そして、いろんなことも含めて、家族間の修復に尽力してきた自分の愛、想い、

捧げてきた愛の大きさを、自分の成果としてしっかりと受け取ってください。

 

家族間の関係に成果はなくても、「自分の成果」として、受け取ります。

やることはやったよ、って感じです。

実際の行動は不要なんですよ。思いを認めるだけで大丈夫です。

 

そして、罪悪感を持たずに、自分自身のための人生へ、

しっかりと自分の足で歩んで行くんです。

「親のための人生ではなく、自分の人生へ、いってきます!!」

っていった感じですね。

前向きな、癒着からのお別れです。

 

両親への感謝と、今までの自分の人生に対する承認と、

これからの自分の人生へ、希望を持って一歩踏み出す、

自分の人生を自分の責任でしっかり進めていく。

 

これには、自愛は不可欠です。

どんな自分も、どんな思いも、あっていい。そのままでいい。暴れてもいい。

丸っと、全部、自愛します。

そして、どうにもならない気持ちは、セルフセッションで解放していきます。

 

ちゃんと、本気で、両親の影響を受けずに、

自分の人生を自分で歩めるようになります。

大丈夫です。

親からの、前向きな卒業です。

 

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