心理学

愛の場所から選択するということ

人生は常に選択の繰り返しだけど愛の場所から判断したい

まとめ

今回は「愛の場所から選択する」をもとに、愛のところからいろいろなものを見てみるということについてお話ししています。少しとりとめがなくなってしまいました。。いつも常にわたしたちは選択しながら過ごしています。その選択のときに、いつも自分の中心にいて自分のために選択してあげる。自分がどうしたいかをちゃんと大切にしてあげるってことがとっても大事です、っていうことをお届けしています。

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本日のテーマは、愛のある生き方。

というより、いろいろなことを愛の場所から見るようにする、

そんな意識の持ち方について、お届けしたいと思います。

 

ところで、基本的に人生って、常に選択なんですけど、

ほんとに大きく分けると、愛か怖れか、といった選択をしてると思うんですね。

一つの事象を見ても、コップの水みたいに、

まだ半分もあると思うのか、もう半分しかないと思うのか、

それと同じで、愛の方向から見るか、おそれの方向から見るか、

これはそれぞれ、自分で選択できるってことなんです。

 

わたしはすごく観葉植物が好きなんですけれども、

例えば、その観葉植物をお家に迎える時にもですね、

やっぱり愛か怖れかっていう選択の仕方を、無意識でやってるんです。

例えば、どうしてもこの子を、お家に迎えたい、ぜひ家に来て!っていう、

愛たっぷりのところから、お迎えするのか、

それとも、あーこの子すごく素敵だなぁ、でもちゃんと育てられるかなぁ、

枯らしちゃったらどうしよう、っていう怖れとかですね。

でも、この不安も愛ではありますけどね。

枯らしちゃったらどうしよう、と、枯らさないようにがんばるね!の、

意識の違いですね。どっちのエネルギーを選択するか、ってことなんです。

 

で、この愛っていうのは、

注力するだけではなくて、いろんなことを気にしない、ネガティブさえ気にしない、

ポジティブもネガティブも気にしないっていうか、

「ありのまま、そのままで良いよ」とか、「そのままでも好きだよ」

っていうことでもあるかなって思うんです。

 

なんか、その人、そのもの自身の生命力を信じて放っておく、ってそれも愛だなって思うんです。

 

で、愛か怖れかという、選択の仕方なんですけど、絶対同時は無理なんですね。

必ず片方だけなんです。その時に考えられるの、意識できるのって。

 

ルビンの壺って言う絵がありますよね。

2人の人が向かい合っている絵に見える、もしくはツボに見えるっていう、

どっちにも見える絵ですね。

ただこれ、ほんとに同時に認識するって事はできないんです。

必ず顔に見えてる時と、ツボに見えてる時があって、

どっちにも見えるよねって言う認識をしているんですが、

その一瞬に、どちらも見るどちらも同時に知覚するっていうのは、脳の仕組み上、

できないようになってます。

なので、要するに、愛の方を選択するっていうことがとても大事だなって思ってます。

 

今日は、とても愛が深くて、大きい方とお話しさせていただく機会があったんですが、

大切な方を、数年前に亡くされていらっしゃるんですが、

やっぱり、ずっと大切だった分、愛していた分、ぽっかりと穴が空いた感じでしょうか、

やっぱり、寂しかったり、悲しかったりってすると思うんですね。

 

で、わたしは10代の時に、父親を亡くしたんですが、

わたしは子供の頃から決めていることがあって、

親より先に死ぬことはしないようにしよう、ってことなんです。

もちろん、不慮の事故とか、防ぎようがないものもありますが、

なんとなく、この決めていたことが、自分の身を守ってきた感じもあります。

 

なので、親御さんがなくなったという方は、

ここ最近、自分の年頃もありますが、周りに多くなっています。

その時に、遠くからいつも思っているのは、「親孝行でしたね」ってことなんです。

 

肯認学でも、四苦八苦って学びます。

その中に、「愛別離苦」ってあります。

愛する人と別れる苦しみです。

仏教では、これは、人間として生きていくなかで、避けては通れない苦しみとしています。

 

必ず迎えるときが来る、

自分が先なのか、相手が先なのか、

それであっても、いずれにしても、その出来事すら、愛の場所から見れるようになれば、

心の苦しみは、少しは軽減されるのではないかって思ってるんです。

 

とはいえ、肯認学の学びの中にもありますが、

本当に、今、目の前に、その苦しみの真っ只中にいる方を前にして、

「愛の方を選択しましょう」なんて、呑気なことは言えませんが、

それでも、

そんなに悲しいのは、愛してたからですね、っていうことには間違いないですから。

その大切な方を、愛の象徴として見るのか、悲しみの象徴として見るのか、

これも自分で選択できるってことなんです。

 

愛の反対に、罪悪感っていうのがありますね。

罪悪感っていうのは自分のことを、悪いものだって思っちゃうことです。

自分なんて、罰せられるにふさわしい、って思ってしまうってことです。

 

この罪悪感というのは、軽めのところで言うと、

自分で「これをやる!」「これやりたいなぁ!」って、決めたことが、

できなかった、っていうだけで自分を責めるんですよ。

これは自分との約束を破ったっていうことになるので、罪悪感のもとになるんです。

 

そして、罪悪感を持っていると、自分は悪人、罪人っていう気持ちがあるので、

どうしても「いい人」と見られたい、って欲求が出てくるんですね。

罪人なので、いい人と思われないといけないっていう、無意識が働くんです。

そして、外の世界に、責める人を作り出しちゃうっていうところもあるんです。

 

そして、さらに、無意識で、被害者意識も出てきます。

被害者意識っていうのは、人から「善良な人」って見てもらうために必要だったりします。

善良な人で、可哀想な人、って見てもらえる。だから手放せなかったりするんです。

わたし、こんなに傷ついてるのにがんばってる!っていう、なんか良い人っぽいですよね。

 

なので、罪悪感と被害者意識って若干セットになってるケース多いです。

 

なので、そういったことも含めて、全部許していくっていうことかと思うんです。

自分を許す。

そんな、自分を許すとか、こうなんか、神様に近い人みたいな言い方をしなくていいんですよ。

要するに自愛なんです。

そんな自分もいるよね、ってそうやって一生懸命生きてきたんだもんねって、

そういうことなんです。

なので、本当に、愛も許しも、要するに自愛なんです。

 

そしてわたしは、肯認学の自愛を、本当にお勧めします。

世界一優しい、自愛だと思ってます。

 

わたしたちはいつも、ことあるごとに悩んでます。

常にことあるごとに、未来に対する不安を持っちゃうんですね。

 

その不安も、過去のデータ、記憶ですよ。

その過去のデータの図書館が、常に背後にあって、今起きた出来事に対して、

その図書館から、「こうなるんじゃない」「こんな大変になるかも」「あーこわー」って、

いろんな「起こるかもしれないよ」ってっていう情報をもってくる。

これが、「不安」「悩み」ってものです。

要するに、持ってこなければいいわけです。

 

そして、そもそも思考が現実化するのに、悩むとか無駄ですもんね。

 

そして、答えはすべて、自分の中にあるのに、わたしたちって答えを外に求めちゃうんです。

これは間違いですね。

なので、そういう考えすぎ、悩みすぎなことって、エネルギーの使い過ぎになって、

脳みそ疲れちゃうっていうことになるんです。

 

これが、「悩み」が発生して、どう動いているか、っていうイメージですね。

 

なので、やっぱり、自己自分を整えていくっていうのはすごく大事ですね。

そして、自分の過去データの図書館に、どんなものが蓄積されているのか、

大まか、引っかかるところだけでも知っておくと、

「あー、またこれが反応しているんだ」ってわかるようになるので、対処しやすくなります。

 

そして、ここ最近、本当に、いろいろな方とお話しさせていただいて思うのが、

対極を知ることで、本当に自分の欲しい世界、好きなことを見つける方って、

すごく多いんですね。

 

そしてその見つけたものって、その方の才能だったりするんです。

嫌だなぁって思うことをとことんやっていって、それに気づいて、本当に底をを打って、

「これじゃない!これは嫌だ!」「いいかげんに幸せになりたい!」って

気づく方、多いです。

 

これをちゃんと気づけるようになるのが、とにかく自愛なんです。

その嫌な出来事があった自分も、全部そのまま無条件で、まるっと自己受容する。

 

LOVABLEセッションをするとき、LOVABLEにつながる時、

必ず、その中心にしっかり自分がいることを意識してます。

いわゆる、センタリングっていうものです。

その中心にいつも自分がいる、そして自分の中心を意識するんですね。

 

で、これは、セッションをするときだけではなく、

常に、自分の中心にいつも意識ができるようになる。

自分の軸をしっかりと立てる、って感じなんです。

 

わたしたちは、本当に常に、瞬間瞬間、選択しています。

そして、ポジティブな考え方も、ネガティブな考え方も、ほんとに表裏なんです。

なので、常にいつも、どっちの側面を取り入れるか、って、選択してるっていう感じです。

なので、ネガティブもポジティブも、怒りも喜びも、

それに気づいて、「あー怒ってたなぁ」とか「嫌だなぁ」とか「幸せだなぁ」とか、

それに気づいて、真ん中に戻って、「じゃあ、どっち選択する?」って、

これを毎回選択するってことなんです。

 

これをちゃんとできるっていうのが、本当に、自愛のひとつだと思ってます。

 

自分の中にある愛を見る。

自分を自分で満たしていくっていうことです。

 

ほんとに、そんなに大きなことじゃないですね。

ちょっとしたこと、自分に優しくする。

ネガティブな方を捉えるんじゃなくて、幸せな方を、良い方を捉えていく、

っていうことだと思ってます。

 

わたしたちが生きていく中で、他人からの影響って、とっても受けます。

そして、あの人は自分のことをどう見てるんだろう、とか、

自分のことをどう思ってるんだろうとか、それすら、妄想の選択をしています。

事実ではないのに、「きっとこうだろう」って決めつけてる、ってことですね。

 

もちろん、社会で生きていく中で、そうせざるを得ないときもありますが、

その時に、自分はどうしたいか、っていうのもちゃんと捉えておくの、大事ですね。

常に選択の基準は自分はどうしたいかなんです。

 

自分のことより、誰かのことを優先した方が、自分は幸せっていう人もいますし、

場合によっては「周りの人がなんて言おうと、自分はこうしたい!」

っていうときもあると思うんです。

これも、ちゃんと気づけるといいですよね。とっても大事です。

いつも、「自分は自分に、どうしてあげたいか」これが考えられるのが自愛です。

 

なので、本当にすごく大事なのは、自分のために、自分を愛してあげる。

よって、自分はどうしたいのか、ここを、ちゃんといつも捉えておくっていうことです。

常に、自分にどんな世界を見せてあげたいか、どんな世界にしたいか、

このスタンスを自分で保っていけたらいいなって思います。

 

そして、自分で幸せになる習慣を手に入れていく。

これは、本当に小さなことの積み重ねだったりします。

その幸せになるための行動を、繰り返していくっていうことなんですね。

繰り返すと、いつかクセになり、そしてそれは習慣になり、いつかは自動操縦になります。

 

そのときに注意したいのが、

「〇〇をしないと幸せになれない」って、よく思いがちですよね。

たくさん勉強しないと、将来いい会社に入れない、っていう、

子供の頃からの教育もそうなんですけど。

この「〇〇しないと、〇〇できない」って、セットになっちゃってたりするので、

これは、一旦解体する必要がありますね。

 

そして、ただ、「幸せになる」って、ただ幸せだって意図する。

そして肯認学では、幸せになる方法は、ただひたすら自愛をする、です。

 

肯認学の自愛は、

今まで自愛が本当に難しかった人、愛って一体何なんだよっていう人にとっても、

本当にやりやすい、世界一優しい愛し方だと思ってます。

今日はそんな愛のある生き方について多方面からいろんな話をしてみました。

 

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