賞味期限
花火の季節が来て、
花火に行けなかった年に、いつも思ってきたこと。
「今年も行けなかった。今年はたった1度きりなのに・・・」
実はわたしのこのセリフの中には、
「来年は今年よりも、1つ、年をとってしまってるのに・・・」
っていう思いが含まれていました。
どんどん年をとっていくことに、すごい抵抗と恐れがあったんですよね。
女性として、女として、
キレイなうちに恋をしなければ、
キレイなうちにたくさんお出かけをしなければ、
どんどんわたしの賞味期限はなくなり、消費期限もなくなるのか・・・と。
そして、キレイな女の子たちが、しあわせそうに楽しそうに浴衣を着て出かけている姿を見て、
わたしは行けないのか、、、と。
シンデレラかーーーーーー。。
年を取っていくことに対する恐れ
すごいさみしかった。置いてけぼりにされてる気がしてた。
そして、この感じは、ずっと続いてきた。夏が通り過ぎるたび。
これも結局、呪いのひとつだなーって思う。
世の中の流れだったり、時代の流れだったり、
「女性は美しくなければ!」という価値観にガチガチに縛られて、
「老い」を恐れるようになってしまって・・・
でも、本当は年を重ねるって、想い出も経験も増えていって、宝物も増えていくものだったりする。
そこに、善し悪しの判断をつけているのは自分であって、
ステキな事柄に、ネガティブな思いを載せているのは、紛れもなく、世の中の情報に踊ってしまっている自分だって、わかってた。
だけど、やっぱり夏が過ぎるたび、
なんだか物悲しく、自分の女性としての価値が、また落ちてしまったなーって、そんな思いを繰り返してきた。
自分の本質をちゃんと見ていく
今日、地元の花火大会に、浴衣を着て出かけようと思ったときに、
今までのこの想いとは、もうさよならしていいなって思った。
なんで思ったかというと、自分がもう、結構いい年だって気づいたのもあった。(笑)
わたしの価値は、細胞の若さではなく、
今までの経験と、今まで繋がってきた人たちが見てくれている本質の部分であり、
夏を過ぎても、価値が下がることは決してなく、
いぶし銀のように、これから磨きがかかっていくもの。
年を重ねていくことは、変えられない。
ならば少しだけでも楽しく心豊かに重ねようではないかー!
そんな自分の経年を、自らリスペクトしていきたい。
そんなことを考えた、とても有意義な1日でした。
ʕ•ᴥ•ʔ ♡
でも電車の向かい側に座っていた、若いショートパンツの女性の、
白く美しい脚を見て、
やっぱり若いっていいなー(・ω・`) って思った自分がいるのも本当でした。(笑)