恋愛心理学

繰り返す夏に思うこと ー花火大会と賞味期限

賞味期限

花火の季節が来て、

花火に行けなかった年に、いつも思ってきたこと。

「今年も行けなかった。今年はたった1度きりなのに・・・」

実はわたしのこのセリフの中には、

「来年は今年よりも、1つ、年をとってしまってるのに・・・」

っていう思いが含まれていました。

どんどん年をとっていくことに、すごい抵抗と恐れがあったんですよね。

女性として、女として、

キレイなうちに恋をしなければ、

キレイなうちにたくさんお出かけをしなければ、

どんどんわたしの賞味期限はなくなり、消費期限もなくなるのか・・・と。

そして、キレイな女の子たちが、しあわせそうに楽しそうに浴衣を着て出かけている姿を見て、

わたしは行けないのか、、、と。

シンデレラかーーーーーー。。

f:id:yumiring3131:20180805010818j:plain

年を取っていくことに対する恐れ

すごいさみしかった。置いてけぼりにされてる気がしてた。

そして、この感じは、ずっと続いてきた。夏が通り過ぎるたび。

これも結局、呪いのひとつだなーって思う。

世の中の流れだったり、時代の流れだったり、

「女性は美しくなければ!」という価値観にガチガチに縛られて、

「老い」を恐れるようになってしまって・・・

でも、本当は年を重ねるって、想い出も経験も増えていって、宝物も増えていくものだったりする。

そこに、善し悪しの判断をつけているのは自分であって、

ステキな事柄に、ネガティブな思いを載せているのは、紛れもなく、世の中の情報に踊ってしまっている自分だって、わかってた。

だけど、やっぱり夏が過ぎるたび、

なんだか物悲しく、自分の女性としての価値が、また落ちてしまったなーって、そんな思いを繰り返してきた。

自分の本質をちゃんと見ていく

今日、地元の花火大会に、浴衣を着て出かけようと思ったときに、

今までのこの想いとは、もうさよならしていいなって思った。

なんで思ったかというと、自分がもう、結構いい年だって気づいたのもあった。(笑)

わたしの価値は、細胞の若さではなく、

今までの経験と、今まで繋がってきた人たちが見てくれている本質の部分であり、

夏を過ぎても、価値が下がることは決してなく、

いぶし銀のように、これから磨きがかかっていくもの。

年を重ねていくことは、変えられない。

ならば少しだけでも楽しく心豊かに重ねようではないかー!

そんな自分の経年を、自らリスペクトしていきたい。

そんなことを考えた、とても有意義な1日でした。

ʕʔ

でも電車の向かい側に座っていた、若いショートパンツの女性の、

白く美しい脚を見て、

やっぱり若いっていいなー(・ω・`) って思った自分がいるのも本当でした。(笑)

Share!
スポンサーリンク

-恋愛心理学