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神社の神様について

神社の神様について

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今日もいつも通り、ネットをふらふらしてましたら、

9月9日は、ちょうようの節句という、とってもめでたい日だということを知りまして、

夕方近くでしたが、近所の氏神様にお参りに行ってきました。

と、いうことで、本日のテーマは、神様です。

神様です!とか言いながら、わたしは神様のこと、あまり知らないですのですが、

日本にはたくさんのよろずの神様がいらっしゃいまして、

ただ、日々、私たち、みんなを、見守ってくれてるんだろうなーって思ってます。

イメージとしては、空を優雅にクールくる回ってる感じですね。

あの、まんが日本昔ばなしの、龍の動きのイメージです。

男性の神様は力強く、女性の神様は羽衣とかがふわーってなびいてる感じでしょうか。

これ、勝手なわたしのイメージなんです。

実は、わたしの母方のおばあちゃんは、神社の神様をまつってて、なんかお祓いもできる人だったみたいなんですね。

でも男性の神様だったから、夫婦仲が良くなくなったらいけないからって、お母さんは結婚の際に、その神様をお祀りするというのはやめたそうなんです。

でも、わたしが小さくて、おばあちゃんが元気だった頃は、毎月12日に、神様のおまつりの会のようなものがあって、お部屋がいっぱいになるくらいの人たちが来て、一緒にお参りしてました。

イメージ的には、今でいうサロンのような感じです。そこに読経があるという。

それでも、わたしは一度も、

「あなたもちゃんと拝みなさい」とか、それっぽいことを言われたことがないんですね。

おばあちゃんが、お経を唱えてる横で、門前の小僧みたいに、一緒に般若心経唱えてみたり、

お供えのお菓子食べたり、って、そんな感じだったんです。

家族の誰からも、神様系のことで、

「ちゃんとしなさい」「バチが当たるよ」とかは言われたことがないんです。

とは言っても、別の神社とかにお参りに行くときは、「どこどこの神様の神様はすごいから、お願いしたら叶えてくれるけど、中途半端な気持ちでお願いしちゃダメよ。ちゃんとやんないとバチが当たるよ」

と言われたことがあります。

なので、イメージとしては、死ぬ気でお願いするときは、覚悟を決めれば助けるけど、自分もちゃんと覚悟決めなさいよ、と神様が言っているのかな、と言ったイメージです。

わたしはちゃんとできない子供だったので、

「じゃあ、お願いするのはやめとこー!」って思って、それから神社でお願いすることは無くなりました。

「本当に困った時にはお願いしても良いけど、普段は見守っててもらおう」って思ったんです。

それは大人になった今でも、なんとなく残ってます。

わたしには、それが精一杯なんです。

今まで、わたしはスピリチュアルなことにすごく焦がれてて、宇宙と交信できる人とか、不思議な力が使える人、オーラが見える人、とか、めちゃくちゃ憧れました。

わたしもそんな力欲しいなー、なんかすごそうだなーって、いつも、思ってるんです。

で、多分おばあちゃんが、お祓いとかできる人だったから、隔世遺伝でわたしにもそんな力ないかなーって思ってるんですが、

片方で、そんな力が目覚めて、お化け見えて、怖い思いするのは本当に嫌だ、という思いが強いんですね。

あるときそんな話を、相談と雑談を兼ねてしていましたら、

「見えない世界」イコール、お化け、というのは、私たちの世代の問題で、

「あなたの知らない世界」とかの見過ぎです。って言われたんですね。

若い人たちは、見えない世界、イコールお化けではないですよ、と教えてもらって、

あれーって思ったんです。

なんだ、これも思考の仕業で、お化けは、過去の情報じゃん、って思ったんです。

見えない世界、神様の世界に、何を見るか。

これは、わたしが自由に決めてよくて、誰かが言ったことをそのまま紐づけることをしなくても、全然よしってことだなって思ったんです。

ただ神社にお参りに行くってだけで、

朝に行かないとダメだとか、夜に行ってはダメだとか、色々あると思うんです。

十人十色の意見があると思います。

確かに、そのような言い伝えというか、注意事項というか、それをいう根拠は確かに、昔に何かがあったかもしれません。

過去の人、お年寄りの言うことは、それなりに言い伝えたい根拠があるものです。

でも、神様を、どのような人?どのような神?にするかは、自分のハートだと思うんですね。

「いつでもいいよー、困ったらおいでー」

「話したくなったら、いつでもおいでー」

って言ってくれる神様にするのか、

「朝、きちんと禊を終えてから、食事を取らずにきなさい、言いつけは守るのだぞ」

という神様にするのか、

これも全部自分次第だと思うんです。

そんなことで、怒る神様は、本当は、わたしはいないんじゃないかなーって思います。

まあ、これも投影かもしれませんが。

その思いが正しいかどうかも知りませんし、わからないけど、それで全然良いと思っています。

正解、不正解は、自分以外の人が決めることではなくて、

これは神様だけではなく、自分の周りの人を、どのように見るか、というのにもつながってると思うんです。

わたしは、群馬県の榛名神社が大好きで、大好き過ぎて、よく初詣に行ってたんですが、

なんてったって、わたしはとってもグズでして、昼に出て、現地に夕方に着くんですね。

お参りしたら、あたりは真っ暗です。

真っ暗なほとんど人がいない参道を歩きながら空を見上げると、

本当に降ってきそうな星空で、

とても静かで厳かで、

ああ、私たちは、こんなにたくさんの神様から見守ってもらいながら生きてるんだなーって思ったのです。

これも、わたしの思考ですね。

ただ、わたしたちは、もれなく、神様に愛されてるなーと思いつつ、

世の中にあるいろいろなシンボルを、愛の方向から見るのか、罰を与える存在として見るのか、

これを判断しているのも自分の思考で、

だったら、わたしは愛の方向から、物事を見ながら生きていきたいなーと思いました。

そして、いつも神社では、

「わたしと、地球上の生き物が、怪我や病気がなく、健やかで幸せに過ごせるように応援お願いします!」

ってお参りしています。

ここに今までは、「わたし」が抜けていたので、

一番初めに「わたし」を入れることを忘れないように注意しています。

という、わたしの、神様という存在への想い、という、

とっても個人的なお話でした。

 

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