やるぞ!と決めたのに先に進めない
本当、なんですかね、この堂々巡りというか、また気持ちが元に戻ってしまう現象。日々というか、一日の間でも気分が揺れてしまう。よしやるぞ!と思っても「でもやっぱりわたしには無理かもしれない」っていう恐れが出てきて、グダグダと同じところを繰り返してしまい、またまた今日も一日が終ってしまう。
せっかくよし!やったるで!と思っても、急に自信が無くなったり、他の人のSNSとかを見て比べてしまい自己否定が始まったり。そんな毎日が繰り返されたりして、全く先に進めない状態ってあると思います。
その先に進めないとき、わたしの場合は大きく「完璧主義」っていう持っててもただの大荷物で何にも役に立たない気持ちのゴミのようなものが本当に邪魔していました。
「ちゃんとしないといけない」ってやつですね。
なんでちゃんとしないといけないと思っちゃうんでしょう。
それは、いろんな理由があるんですけど、まあちゃんとしないと愛されないし、認められないし、生きていけないって思ってしまったのが原因のようなんですね。
子供のころは、親に「愛される」というのが生きる最大の条件でしたからね。赤ちゃんなんて一人じゃ生きていけないじゃないですか。おっぱいもらわないと死んじゃうし、おむつ変えてもらえないと気持ち悪いしかぶれちゃうし。そんなの経由して物心つく子供になると、とにかく親に愛されるというのが生きる条件になっちゃうんですよ。これは、無意識の世界です。
まあ「愛してくださいよ」っておべっか使ってる子供もそうはいないですからね。だから、無意識的な生きる知恵って感じでしょうか。
そうやって生きていく中で、その「ちゃんとしなきゃ」っていうのを強烈に意識する環境に生きる子供がいます。
機能不全家族の子供(アダルトチルドレン)
アダルトチルドレン(AC と略されたりします)は、元々はアルコール依存症の親から育てられた子供のことを言うようです。今では同じように親が親の役目を果たせてない家庭環境で育った子供が、大人になってから生きづらさを感じている場合も同じように呼ぶようです。
感情を抑圧されている両親のもとで育った場合も、この傾向があります。
例えば、ネグレクト(育児放棄)だったり、過干渉、過保護、厳格すぎたり、エリート一家だったり、精神的に不安定さを抱えていたり、虐待されたり・・・
そして、この家族のもとで育った場合、多くの子供が「自分で何とか解決しなきゃ」って思っちゃうんですね。
(親を頼れないですし)
そうやって、親がちゃんと親らしく子供の面倒をしっかりと見れる親でなかった場合、そこで育った子供は、自分が生き抜くことにプラスして、親を助けようとしちゃうんです。
生きるためでもあるし、愛でもある。子供はやっぱり親をずっと見てますから、ずっと親の顔色を伺って育ってしまうのです。
そうすると子供って、一時たりも気を抜けないですよね。ずっと緊張しっぱなしです。
アダルトチルドレンに関しては、もっともっときちんと記述しなけれなならないことがたくさんあるんですが、こういった、家族も(何か)抑圧されている、自分も抑圧して我慢し続けてきてしまっているといった場合、自分よりも親や周りを優先してしまうようになってしまいます。
そして、自分の存在価値を、相手や周囲の環境に委ねてしまうんです。
そして、完璧じゃないと愛されない、完璧じゃないと事態が良くならないって、いつまでもがんばってしまうんです。
この完璧主義って、アダルトチルドレンの一つの傾向だったりします。
だから子供の頃の家庭環境、あんま良くなかったなーっていう人は、この傾向があるかもです。
見下し癖と負けず嫌いの完璧主義
人を見下す癖があったり、いつでも勝ち負けで判断してしまう人も、完璧主義に陥りやすいです。
人を見下す傾向がある人って、すんごい傲慢なんですよね、ちっちゃい頃の自分が。ちっちゃい頃「チャイルド」の自分がすごい偉そうなんです。まあそうですよね、両親はなにをやっても「かわいいかわいい、いいこいいこ、すごいすごい、えらいえらい」と言って育てるわけですから、小さなあなたは何をやっても「わたしすごい」ってなっちゃうんです。
これを、大人の人の言うことを聞かず、「わたしえらい」といったチャイルドのままで成長してしまうと、他人を見下す癖がついてしまいます。ひどいと周りをバカにしたり。
それで何が問題かというと、この偉そうなチャイルドは、全く意識できないんです。無意識のところにいるので、よく考えても見つからないんです。(誘導瞑想で出てきます)
「そんなチャイルドなんかわたし持ってません」っていう場合でも、「わたしの方が偉い」っていう子が、結構かくれているので大変なんです。
そうやって人を見下す癖ができていると、自然と自分が目立つようなことをしたり、上司になったり、リーダーになったりしたときに「完璧じゃないとバカにされる」って心配が出てきたりするんですよね。
これは投影の仕組みなんです。
自分が思っていることが、相手に現象化されてしまうということです。なんと大変。
だから、不要な見下し癖や、負けず嫌いなところは、早めに修正しておいた方がいいです。
自分のための完璧主義
仕事も勉強もスポーツも、常に全力投球。しっかりと結果を残したい、きちんと仕上げたい、合格ありき!の人たちもたくさんいると思います。素晴らしいですね!わたしはその方達の爪の垢でも・・・って感じです。
わたしは幼少期から、何も完成させたことがないと言い切っても過言ではないくらい、何も結果を残してこない人間でした。要するにデフォルトがダメ人間で、ずっとダメな自分を責めてきました。
ダメな人間は成功しない、ダメな人間は愛されない、とかずっと自分に呪いの言葉を吐きまくってました。
そして、いろんなことに結果を出してる、優秀な人たちを指をくわえ眺めていました。「いいなあー」って。
この時点でわたしは、その優秀な人たちが、ものすごく努力していることを全く考えてないのです。「何もしなくてもできる人」「努力をしなくてもできる人」「勉強しなくても合格した人」って思っているのです。
まあ、最上級の努力嫌いの怠慢な子供だったんです。その意識のまま、大人になっちゃってとほほなんです。
確かに努力しなくても上手くいく人もいるかもしれないですが、ほとんどはめちゃくちゃがんばっていたはずです。あのイチローだって、「僕は小さい頃から練習している。365日中360日はめちゃくちゃ練習している。だからプロ野球選手になれないはずがない」って文集に残していたそうですが、みんなが遊んでいる時間も、練習してたってことなんですよね。そう努力って見えない。
でも努力があったから、ちゃんとできる。だから完璧に仕上げられる。
でももし、「完璧にしなきゃ」ということに縛られ過ぎているのであれば、少し緩めてもいいと思います。完璧ではなくても要点がまとめられていればいい。完璧じゃなくても1番のがんばりどころだけ最大級のパワーが出せればいい、合格するための努力を見続けてくれている人がいる。
それだけでもいいと思うんです。
(まあ、わたしが努力の人じゃなかったから、こんな発言になってしまうのかもですが)
がんばらなくてもいい、ちゃんとしなくてもいい、あなたは愛される
世の中には「味があるもの」っていうものが一定量ありまして、簡単にいうと「ヘタウマ」ですとか、そんな完璧じゃないものがあります。
でも、その味があるものは、ある一定数の人たちからとても愛され、口コミになり、ファンが増えていくことになります。
ちゃんとしなきゃ、完璧でなくちゃ
という気持ちが出てくるときは、あなたがあなた自身を責めているときなのです。簡単にいうと、あなたがダメなあなたを愛せないときです。(全てではないですよ)
確かに、商品や資料を作るときに完璧に仕上げたい!っていうのは大事ですし、完璧に仕上げることを応援しますが、完璧じゃなくてもいいってことです。
そして、完璧じゃないと!って思い続けると、どうでもいいことにスタックしてしまい、先に進めない現象が続いてしまうってことなんです。
どんなことでも、ちゃんとできなくても、昨日より今日、一歩前に進むこと。完璧ではないあなたを愛していくことが、すごく大事です。
完璧じゃなくてもいいんですよ、全然。
必要なとき以外の完璧主義は、あなたの人生をストップさせる原因にもなるので、不要なところでは出てこないようにすることも大事だと思ってます。
でも、完璧なのが気持ちいい!!って方もいますからね。そういった方も応援してます!!
そして、わたしにはできないことだから、心から尊敬します。
〜でなければダメだ!という人生じゃなくて、しあわせだったら方法はなんでもOK!って進んでいきたいですね