親子の確執
実はわたしは心理を学んでいる身でありながら、
毒親という言葉に、
あまり触れたことがありませんでした。
あまり意識したことがありませんでした。
というか、目にしても、
自分には関係ないと思ってたんでしょうね。
全く気にしてませんでした。
でも昨年、母との関係に取り組んだときに、
いくつか書籍を読んで、
その中で、
『あー、毒親…』
って感じでした。(どんなかんじ…)
よかったのか悪かったのかわかんないですが、
わたしは基本、
『全部わたしが悪い』
って思ってたタイプなんですね。
子供の視点の罪悪感が残る
レジャーの日に渋滞なのも、
買ったお野菜がちょっとハズレなのも、
郵便ポストが赤いのも…
罪悪感がベースなんです。
これは、
子供の頃は一心不乱に両親を愛して、
両親に愛してもらいたくて、
そして両親のことをしあわせにしたかった。
その、実行できてない心残りが、
罪悪感として残ってる感じです。
基本、
周りにいる人たち全員をハッピーにしたい人なので、
周りにいる人たちがハッピーじゃないと、
自分の力不足ではないかと思ったり、
罪悪感が発生したりするんです。
これを見て、
偽善だ、犠牲だ… 的に感じる方もいらっしゃるかもですね。。
ただこれは、ほんとなんですー。
本当の部分は、
自分の周りのエネルギーが、
止まってたり落ちてたりするのが
嫌いなだけかもしれないです。
だから、やっぱり、
エネルギー軽くしたいし、ハッピーでいてほしい。
それに使う労力に対して、
惜しいと思ったことがないんです。
みんなが愛の方向から、
物事を観れるようになるといいなーって思ってます。
集合無意識的良心
さて、
子供の頃の家庭環境や、
両親との関係により、
人生をうまく進められなかったり、
なかなか人間関係や
パートナーシップが
うまく構築できないなー、
と感じてる方も多いかと思います。
そのときに、
『あ、親から十分に愛をもらってなかったからなんだ』
と、自分から1番見える、
表層の両親ばかりに目が行きがちですが、
さらに両親の両親、
さらにその両親へ、
意識を向けてみたことはありますか?
あなたの両親は、
親に十分な愛をもらってたんでしょうか?
十分な後ろ盾と安心感をもらってたんでしょうか?
さらに、曽祖父母はどうでしょうか?
どこかで悩んでつらいことがあって、
十分に自分の子供に、
思うだけの愛を流せないことがなかったでしょうか?
そのときに、
その子は、
両親を助けようとしないでしょうか?
ちょっといろいろややこしくなりましたが、
伝えたいことはたったひとつ。
いろんなところに、わかりやすく表現できない、
『愛』があるって、なんとなくわかりますか?
親が子を愛する気持ち
子が親を愛する気持ち
これは、
哺乳類で動物であれば普遍的なものです。
でもわたしたち人間は、
さらに人生という生活の中で、
たくさんの問題やストレスを抱え、
素直に愛を表現できなかったり、
『今日はキツイから後で』
ということが起こります。
この『後で』ですら、
【拒否】だ
と誤って判断してしまうことがあります。
そんないろんなことが、
絡んで、もつれて、
そして
今私たちはいろんな感情を抱えて、
生きている
ということになります。
愛がうまく
循環されてなかったかもしれない自分の両親を、
『毒親』という言葉でまとめて、
愛を否定し、
加害者にするのではなく、
親は親、
わたしは子供、
わたしはあなたたちのことを愛しています。
でも、嫌いなところは嫌いです。
でも根底には、愛があります。
ということを認識して、
そして、自分の人生を歩むために、
親と距離を置く、
というやり方をオススメします。
自分の中と他者の中の愛を観る
みなさんの根底に
流れている豊かな愛は、
全て
ずっとずっと遠い祖先からの、
命の流れです。
見方を変えると、
とても美しく、尊いものです ʕ•ᴥ•ʔ ♡