がんばることで現実逃避
「現実逃避」とはちょっと違うのかもしれませんが、
わたしは完全なる、刹那主義でした。
「主義」とも違うかもしれない。
刹那にしか、生きていけなかったんです。
生まれ育った環境、
そして何も満たされることがないという、
「負の成功体験」
過去を見ても絶望。
未来を見ても絶望。
夢なんか、叶うはずない。
わたしには、何もない。
ならば、希望を持たずに生きていこう。
そんな思いで、
ずっと生きてきたような気がします。
経済的不安が常に背中合わせ
傷ついたまま、癒されることがなかった
インナーチャイルドを、ずっと隠し持っていたわたしは、
両親を愛するがゆえに、
両親の痛みを背負おうとし、
その、両親の追体験をしてしまいますので、
わたしは大人になっても、常に
経済的不安の中で生きていました。
また、離婚をして
「愛する人と離れることにした」という、
そんな素直になれなかったがために、
しあわせのレールから外れてしまった両親の、
「愛する人とは一緒にいられない」
という痛みも引き受けてましたので、
わたしは常に、恋愛相手や結婚相手のパートナーから、
「思いが大きくなる前に、離れなければ」
という気持ちで、
いつも、別れることばかり、考えていたような気がします。
当時は、全く、
「なぜそう思ってしまうんだろう?」などと、
考えたことはなく、
未来を思っても、
うまくいくはずがない、という絶望に包まれるため、
未来を思わない、
今の快楽に身を任せてしまう、
そんな刹那主義な状況で、
割と長い期間、過ごしてきたような気がします。
なんども、
「自殺する勇気がないだけ、よかったのかもしれない」
ということを思ったりしました。
才能の一つに、愛と思いやりと共感力があった
こんな状況ではあったけれども、
とにかく両親が大好きで、
両親からものすごく愛されているという
「思い込み」で、つい最近まで生きてきました(笑)。
本当に愛されていると思っていたし、
彼らなりに愛していたかもしれないし、
答え合わせはできないし、
答え合わせをしようとも思わないけど、
わたしの中に、自動的に発生する、
愛とか、
相手を思いやる気持ちとかは、
多分これ、ただのもって生まれたもので、
なんの努力もしていなくて、
でも、この「愛」する気持ちに、
わたしは生き支えられてきたんだと思ってるのです。
わたしが、いなくなったら、
両親や、仲良しの友達が悲しむだろうな、
わたしが、泣いたら、
両親や、仲良しの友達が困るだろうな、
悲しい、寂しい、辛いの気持ちは、
わたしにとっては、
百害あって一利なしだな、って、
ずっと、笑顔や明るさの下に、
隠して生きてきました。
きっと、同じ悲しみを持っている人がいる
心理学を学び、自分の状況が見えてきて、
やっと手のひらの上で、
自分の感情や痛みをしっかりと認識できるようになったとき、
初めて、心から、
人は、いろんなことに乗り越えられる力を持って生まれてきて、
そして乗り越えられるから、
それだけの試練が発生する、
ということが理解できました。
わたしは、こうやって、
「ちゃんと乗り越えられるよ」
「自分の人生を自分で舵取りできるよ」
って伝えていくことができることも、
自分のやることだったのかなーって、今では思います。
コンステレーションで家族の状況を展開してみる
わたしたちが生きていく中で
生きづらいこと、うまくいかないことは、
家族との関係による
「集合的無意識の良心」などの、
愛があるからこその、家族との「もつれ」が
原因になっていることがほとんどです。
そして、その生きづらさは、
そのまま放っておいても、なかなかうまくいきませんし、
セラピーだけで解決していくのも、
割と時間がかかったりするものだと考えています。
それよりも、自分の生きづらさの原点が、
どこにあるのか?
(父なのか、母なのか、誰の痛みを代わりに背負っているのか?など)
をしっかり認識することが、
あなたが、あなたの人生を、
しっかり自分のものとして、
歩んでいけるようになる、第一歩だと考えています。
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