いま目の前の問題も生きづらさも不幸も、過去の問題が原因だった
「心理学」とひとことで言っても、いろんな先生がいて、いろんな理論があって、いろんな考え方があって、人によっては、「あれはダメ」「これは危険」「それは間違い」といろんなことを言うかもしれません。
でもわたし、ぜーんぶ結局は元は同じなんだと思うんです。
そして、それにその師匠たちが、いろんな見解を述べていて、いろんなセラピーを編み出しているだけで、自分が一番、手っ取り早く幸せになれそうな方法を選べばいいんです。
問題の根っこが深くない人が、難しいもつれを学び、それに取り組む必要はないし、問題の根っこが深い人が、ただ感情を感じて癒されるかといえば、それはなかなか解決に向かわないかもしれません。
そして、いろいろ学んできて、結局たどり着いたのは、全ての問題は、「愛着」にあるってところ。
出産時や、乳幼児期の母親との分離体験が、しあわせな人生を手に入れる力を、損なってしまう原因になったりします。それにより、欲しいものを求める動きと、遠ざかる動きを、交互に繰り返してしまう、という人生のパターンを作ってしまいます。
両親との関係がのちの人生に影響している
コンステレーション
ファミリーコンスレレーションでは、「家族という集団」に所属し、その秩序が守られているとき、スムーズに愛が流れ、安心して人生を進めることができる、という考え方をします。
逆にいうと、何かしらの理由で、「秩序」が守られてないときに、家族システムのもつれが発生するということです。で、もつれが発生していると「しあわせを選べない」のです。ちょっと難しいですね。
わたしたちは「集合的無意識」でつながっています。人種、国籍、性別、家族、出身地、会社、学校、その他もろもろ、いろんな集団に所属していて、そしてその集団の根幹にある、「無意識」を、共有していると考えています。
だから「シンクロ」が起こったりする。
そしてこのファミリーコンステレーション(コンステレーション)は、所属する家族の「集合的無意識」に、「集合的良心」があると、考えられています。
集合的無意識・集合的良心
この「集合的良心」というのは、家族の秩序・ルールであり、これらを遵守できてないと「罪悪感」が発生します。
この「罪悪感」は、葛藤を生み出します。欲しいものから、遠ざかってしまうような行動を起こしたり、好きなのに別れようとするのも、これに似ています。
例えば、どうしても今日中に徹夜をしてでも終わらせないといけない仕事がある。同僚や上司は、数日続けて睡眠時間を削って仕事をしている。しかし、今日は子供の誕生日で、今日は絶対早めに帰るって約束した。・・・どっちを優先しても、必ず片方に罪悪感が発生します。
続いて、父親が、母親に行う暴力が原因で、あなたの両親が離婚することになりました。あなたも、暴力を振るわれる母親を見て、とても心を痛めていました。しかし、父親は、あなたのことはとても大切にしていました。でも、父親がが出て行くことになり、あなたは母親と生活することになりました。
あなたは、「お父さんに会いたい」「わたしは、お父さんもお母さんも同じくらい愛してる」っていうことを、母親に言えず、母親が父親を罵るがまま、一緒に憎むことで、母親との関係を保とうとしてしまいます。・・・お父さんを好きだというと、お母さんに罪悪感が発生しますよね。
宗教的な、戦いは、これの最たるものだったりします。
「罪悪感」が家族メンバー間の問題を引き受けてしまう
そして「罪悪感」という感情が発生してしまった場合、「家族という集団に所属」して、その「秩序」を守ろうとするとき、発生した「罪悪感」を、なにかしらで償おうとしてしまいます。
さっきの会社の例でいうと、今日は早く帰るって約束してたのに、守れなかったからといって、欲しがってたおもちゃを全部買って帰っても、子供が喜ぶ顔を見ても、「おめでとう!!」「よかったね!!」とは、思えませんよね。まず「帰ってこれなくて、ごめんね」って言葉が出ると思います。
このとき、買って帰ってきたおもちゃは、誕生日のハッピーなプレゼントではなく、償いの品でしかなくなってしまってます。補償行為になっちゃうんです。
コンステレーションの考え方として、家族システムの秩序が守られなかったときに、両親やさらにその両親などの、家族の一員としてシステマチックに代わりに秩序を守ろうとして、両親や、先祖の問題「もつれ」を、代わりに再現しようとする「同一化」が起こってしまうのが、わたしたちの人生の生きづらさと考えています。
自分の子供や子孫が、その償いをすることになってしまうのです。
なぜ、しあわせになるほうではなく、不幸になるほうを選んでしまうのか。ここには、家族システムの一員として、家族の誰かの「もつれ」があなたの人生に発生している、という見方をします。
家族システムの秩序を取り戻す
ファミリーコンステレーションの目的は、
① 家族や先祖と正しくつながり、生命の流れとエネルギーを受け取る
② 原家族(自分の親兄弟)から正しく自立して、自分の家族を作ってしあわせになる
ということです。
後ろを振り返って、両親を見たとき、さらにその後ろの、おじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん・・・両膝をつき、うなだれて、死にそうなくらいつらそうな事柄を背負っているように見えたとき、あなたはそのまま前を見て、「わたしは、しあわせになるわ〜♫」って、スキップして進めますか?
後ろの両親やおじいちゃんおばあちゃん、先祖が気になりませんか?
これが、無意識に発生している、所属の法則で、無意識に助けようとしたり、身代わりになろうとしたりするのです。これらを解決するには、家族システムの秩序を整えて、愛を流してあげることが必要です。
なぜ、両膝をついてうなだれているのか、なぜ生きる力を失っているのか、これを感じて、認めて、承認して、尊重して、本当の言葉、「トゥルーセンテンス」を伝えていきます。
例)「わたしはあなたの孫で、あなたはわたしのおじいちゃんです。」「わたしはおじいちゃんを愛しています。」「わたしはおじいちゃんの痛みを見ます。」
大事なのは、親よりも、祖父母よりも、大きな存在になろうとしないこと。両親や祖父母を「かわいそう」と思わないこと。家族システムから、排除されている家族がいたり、苦しんでいるメンバーがいると、そこにもつれが発生して、愛のエネルギーが先祖から流れてこなくなります。
自分に流れてこないのは、お母さんが辛そうだから、と、さらに祖父母の問題を、代わりに引き受けてしまったりします。この「もつれ」を解いていくのが、コンステレーションです。
文章で伝えるのはとても難儀ですが、(言いたいことたくさんあるので)すべては、愛なんです。
愛したい、愛されたい。所属したい。
人、ひとりひとりに発生する、この両親からの愛を求める気持ちが、家族に所属したい気持ちが、いろんなところに歪みを発生させたりします。それを整えていくのが、コンステレーションです。
家族の秩序を守る「4つの法則」
所属の法則
家族のメンバーは全員が、その家族に所属する権利を「平等に」持っています。家族の中に、何かしらの理由で「排除」された者がいる場合
・認知されなかった
・養子に出された など
その排除された家族の身代わりをさせることで(家族システムが)、家族全体を、元の健全な形に戻そうとします。 これを「同一化」といいます(排除された家族と、同じ人生を歩んでしまうということ)。
先祖に同一化すると、同じ感情や行動、病気や運命を共有してしまうのです。もちろん、本人は無意識で、その自覚はありません。これを、「もつれ」と言います。
ランクの法則
生まれた順番で優先順位が決まるというもの。親は子より、優先。兄弟は、生まれた順番で優先。離婚した妻がいる場合、一番目の妻の方が、二番目の妻より優先。離婚した相手に子供がいた場合、再婚後に生まれた子供より、離婚した相手との子供の方が優先。夫婦間の場合、男性が右で、女性が左。
例えば、二番目の妻が、一番目の妻をなかったものとして、さらにその子供も排除しようとした場合、家族システムの秩序は損なわれて、もつれが発生し、子孫に影響してくると考えます。
ランクの法則
家族の誰かが、他人との間で、利害関係が発生した場合、本人がそのギブアンドテイクのアンバランスを回復しない限り、家族のメンバーの誰かが、そのバランスを取り戻すハメになってしまう。例えば、先祖の誰かが泥棒をして、財を成した場合、その子孫は財を失うようなことを繰り返すかもしれません。両親の片方が、パートナーを不当に傷つけて排除してしまった場合、その子供は結婚や男女関係の失敗を繰り返すかもしれません。
運命の法則
わたしたちは、皆誰もが、自分の運命を背負うことができます。そして、自分自身の運命しか背負うことはできないのです。たとえ家族でも、他人の人生に介入することは「もつれ」を発生させます。例えば「お母さんがかわいそう」という内面の気持ちは、「親は子供よりも大きい」というランクの法則に反してますし、親の尊厳も奪ってしまっていることになります。
両親の問題は、両親に委ねる。そして、あなたは自分の人生を生きる。これが、大事です。
例えば、子供の頃に、両親の不仲や虐待などの問題により、自分の心の中から、両親を排除してしまった場合。
この場合、集合的良心の「所属の法則」により、
・自分自身が、軽蔑する両親のようになってしまうか
・軽蔑する両親のようなパートナーを見つけて結婚することで
排除した両親を、家族システムの中に再現しようとしてしまいます(・・・大変です)。仮に、排除してしまっていた場合は、それをしっかりと認識して、「トゥルーセンテンス」を見つけていくことが大事です。
ここでいうと、「わたしはあなた方の子供で、あなた方はわたしの両親です」「あなた方は大きくて、わたしは小さい」「お父さん、お母さん、わたしはあなたたちを愛しています」「あなたたちの人生を見ます」「あなたたちの人生を尊重します」
このような感じです。ここに、感情や理由や解釈や分析などの、ストーリーを作らないこと。そして家族システムを、正しいならびに戻していって、あなたはしっかりとして後ろ盾を取り戻し、豊かな命の流れを受け取りながら、スキップして、前に進んでいくのです。
愛を止めているから、人生も止まってしまう。「ずっと愛して欲しかった」「ずっと愛したかった」この、あなたの愛を、しっかりと認識することが、あなたの人生を進める力になるのです。だから、ここに気づいていく必要がありますねー。
がんばりましょう ♡