ひとりごと

つらくて苦しい痛みの真っ只中にいましたー!!

大げさな題名になってしまいましたが、

本当は、そこまでブルーではなかった・・・かも。

「癒されてない人が、

カウンセラーなんてやらないで欲しい。」

なんていう、巷の声もちらほらありますが、

何の問題もなくて、キラキラしてて、

すでに癒されまくって達成している人なんて、

世の中ほんの一握りだと思います。

本当はそういう方々も、

自分では見つけきれていない、過去の痛みもあったり、

人にはお話しできないような悩みがあったり・・・。

でも、基本、

穏やかで暖かで裕福な家庭に生まれた人は、

もともと持っている、「安心感」のレベルが違うので、

そのような悩みも、

本当につらくて、重たい人生を歩んでいる人とは、

比べ物にならないくらい、易しいものだったりします。

そもそも、魂の転生レベルが違ったりするし、

生まれたてたまごの魂が、

わたしレベルの経験したら、

傷つきまくって、たまごが爆発して、

内臓の黄身は出まくって、大変なことになるわけだし、

だからといって、

イマココの場所から、

「お前も同じ経験してみろ」とは、

全くもって思わないわけですよ。

だって、

みんな生まれる前に決めてきた、魂の課題が違うわけだし。

なので、

基本、心の傷が完全に癒されて、

何だかもう、ふつうの人間ではないくらい

晴れやかでキラキラしてる人なんか、

本当は居ないと思いますよ。

そして、その自分の問題に、

どれだけちゃんと向かい合って、

そして色々出てくる問題に対して、

どれだけしっかりと起きていることを認識して、

それによって、何が起きているのか、

何が反応しているのか、

そもそもこの問題は、本当は誰のものなのか、とか

そういったことをしっかりと自分で分析でき、

「じゃあ、どうするよ。」

ってことに取り組んで

浮上し

回復し

立ち上がり、

「よっこいしょ」ってできるのが、

必要だと思ってるんですよね。

この

「よっこいしょ」ができないと、

倒れた人に、

どうやって起き上がることを、起き上がり方を、

伝えてあげれる? って思うんです。

『もう、死んじゃいたい』って思ってる人に、

ウンウン、わかるよ。そうだよね。

それは本当にキッツイわ。

って、どうやって本心から言うの?

スノーボードをやらない人は、

「逆エッジでこけて、脳みそが豆腐のように揺れた感じがした」

(って感じる人も少ないと思うけど)

という状況は、想像しづらいだろうし、

「痛そうだね」っとは言えるけど、

「それって、どんくらい痛いの?」って話になると思うんですよね。

じゃあこけないように、どうやってターンする?って話になった時に、

経験がないと、

「こけないように滑ればいいんじゃない?」

「なんなら、スノボなんて行かなきゃいいよ」

的な話になってもおかしくないわけじゃないですか。笑

スノーボードをやったことがないと、楽しさもわかんないし、

そもそも、あのワクワクする感じがわからないし、

♫ かならずはぐれずについていけるわ〜

って感じもわかんなと思うんですよ。

ウエイクボードや、ジェットスキーとかやったことないと、

水面を転がる経験とか、ないはずなんですよ。

水上でこけると、

水面を、コロコロコローと転がるわけです。

水面を転がる時の痛さとか、

水に潜ったまま、物凄いスピードで引っ張られてしまい、

うっかり目が開いてたままだったりすると、

目が裂けそうになるわけですよ。

天然の美容整形になってしまうわけです。

こんな痛さや、怖さって、経験してないとわかんないじゃないですか。

だから、コーチや監督って、経験者だったりするわけです。

経験からくる、アドバイス、注意したほうがいいこと、

起こってしまった時の対処方法、とかわかるんです。

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なので、何が言いたいかというと、

人は常に、いろんな問題に立ち向かっていて、

そして、そこからがんばって、

また自分の足で立ち、一歩ずつ踏み出さなきゃいけなくて

そのスピードが早かろうが遅かろうが、

「いろんなことが起きても、それでもまた前に進む」

ことが大事、ということ。

自分で立ち上がれない、

脱出する道が見つからない、

少しでいいから手を貸してもらいたい、

そんな時は、人の手を借りればいい。

誰もが、自分の苦しみを本当に理解してくれる人に、

手を貸してもらえばいいのですよ。

共感ということが、ものすごく誰かを助けるのです。

カウンセラーだから、

人の手を借りたりするのはおかしいんじゃないか

そもそも落ち込んだりするのはおかしいんじゃないか

癒されてないのはおかしいんじゃないか

というのは、それ自体がおかしな話です。

どんな人でも、トライアンドエラー( trial and error)なのです。

それを繰り返すうちに、リカバリーが早くなるし、

そうなる前に、予防ができるようになるだけだと思うのです。

みんなそれに立ち向かって生きているんです。

その中で、その人によって起こる出来事が違います。

起こる出来事の、インパクトが違います。

起こった出来事により受けるダメージの大きさが違います。

だからと言って、

大きいからすごい、

小さいからしょぼい、

ではないんです。

どれだけ、自分の問題を認識できるか、

どれだけ、その問題を手のひらに乗せて、

痛みや悲しみを感じて、

「こんなに痛みがあったのか、本当、自分よくがんばった」

と言えるか、なのです。

これができる人は、

素晴らしい、先生だと思うし、

素晴らしい、親だと思うし、

素晴らしい、先輩だと思うし、

素晴らしい、コーチだと思うし、

素晴らしい、友だと思うし、

素晴らしい、人だと思います。

わたしは、自分の親が年老いて、

どんどん性格が変わっていき、

優しさや思いやりが薄れ、自分一番で、

家族を思いやれなくなっていく様を見続け、

そして、とうとう家族が分裂するという

そんな状況の真っ只中にいて、

やっとそこから少しずつ脱出するところです。

初めは、現状を受け止められず、

自分の親がそんなひどい人間になっていることを受け止められず、

恥ずかしさにより、友にも相談できませんでしたが、

「一人でやるのはもうムリ」

って思って、ポロポロと自分のしんどさを吐露していきました。

支えてくれる友が、とてもありがたかった。

そして、看護師の友に、苦しみを吐露したら、

「それ、病気だから。」

「家族だけで立ち向かうと、家族がダメになるから。」

「それ、なんともならないから。」

と、はっきりと、「認知症の一種である。」と

断言してくれたのですよ。

もちろんドクターじゃないので、診断ではないですが、

その友の言葉に、ものすごく救われたのです。

母を「ひどい」と思う自分を、「ひどい」と思い、

ものすごい罪悪感と、ものすごいハートブレイクを、

一身に背負っていたのですから。

「病気だよ。」っていってもらえたことで、

自分が母をひどい人にしていた、ということが、

ひどい人ではなくて、病気がそうさせただけ

に変えてくれたのです。

わたしの出来事なんて、かわいいもの。

それでも生きていかなくてはならない。

死ぬまで生きていかなくてはならない。

そしても、死ぬわけにもいかないから、

粛々と生きていかなきゃいけない。

そして、

こんなつらい経験も、転んだときの立ち上がり方も、

誰かの役に立てなければもったいない。

転んでもただは起きない、ようにしないとね。

なので、みんな大丈夫だよ。

絶対、どんなことがあっても立ち上がれるから。

わたしは、本気でみなさんのこと応援してる。

この、母性は、多分才能(笑)

一人でやろうとしないことが、大事だね。

Luv U ʕ•ᴥ•ʔ ♡

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